
明けましておめでとうございます。
本年2015年がスタートしました。
いつも私のブログはどちらかと言えば、
アウトプットの為の宣伝ツールとしての利用が主で、
自分の意見、評論、特にセンシティブなテーマは
できるだけ大多数が見ているメディアとして、
極力避けてきた傾向があります。
最近、テレビを殆ど観なくなったというか、
興味が無くなってきた所為もあって、
流行りのアイテムにはとんと疎くなってしまいました。
されど、伝統歌番組、大晦日NHK紅白歌合戦、
その出場歌手なんかはやはり興味が捨て切れなかったり
するのは日本人の性なのか、大袈裟なものでは
ないにせよ多少気になったりするものです。
そして、実際今回全く観なかったというか、
TVを観なかったということで、年賀ハガキ作成に精を出して
いたりして、しかしネットの方では明菜がサザンがで、
反響がもの凄い事になっていたらしいので、
ネットで早速アップされていたサザンの演奏を観てみた次第なのです。
結論から言うと、私は大騒ぎする必要はないに限りなく近い感じです。
従来よりとかく表現者が反権威主義に向かうのは自明の理です。
そして知識の浅薄さが露骨に滲み出ているというのがパターンです。
プロテストソングの発出はボブ・ディランの公民権運動、ジェーン・バエズの
ベトナム戦争反戦、ジョンレノンの日ソ冷戦構造下におけるラブ&ピースと、
更に彼らの影響を被った日本の表現者たちにおける一連の平和運動的表現
と、枚挙にキリがありません。
総じて言えるのは、彼らは市民運動を通してのイズム、武力を回避して
争いを止めさせたいとする、ある力の創造の構築を目指していると、私は理解するのです。
これは別の意味で平和の名を借りた平等主義的国家観としてのプロパガンダに映るのです。
このプロパガンダに知識の乏しいとりわけ若い人、もしくは発出するアーティストの
支持者たちが簡単に乗せられてしまう危険性があります。
ごく自然な喧嘩の論理に例えます。力を持ったものが、ある時点で
周りを従属させたい、誇示してその影響力を確かなものにしたいとするのは
生理学的に自然な能動性を遂行しているに過ぎません。
これを制御できるのが、その人(※国に置き換えます)の成り立ちにまつわる
思想や哲学、宗教観を如何に持ち合わせているか、その点にかかってくるのです。
哀しい哉、日本の隣国にその肝要&寛容な精神があるとは到底見受けられず、
日本をとりまくその危機的状況に、当然の如く現内閣はできるだけの対抗措置を
執らざるを得ない、これが現実です。
つまり、無責任なプロパガンダに煽られる必要は全く無いという事に繋がって
いくのです。そして所詮芸能という媒体、概ねの表現者たる表現の限界が
年末のサザンに垣間見えたに過ぎない事実、メガを産み出すソフトの罠、
ある種のファッション、これが顕著にあるということが推察されます。
そんな事を少し考えながら、自分の発する表現はもっと別のところにあるし、
そうでありたいと思ったのです。
写真は雲が首長竜のようで、雲の上からの光射すコントラストが綺麗だったので、
思わず押してしまった画です。