「さらばシベリア鉄道」を聴きながら
01 03, 2014Posted in未分類
2013年、大晦日、
日本音楽界の金字塔であり、
新譜を出さずとも毎年その動向には注視して止まなかった存在、
マイケル・ジャクソンがKING OF POPと呼ばれるならば、
さしづめGOD OF JAPANESE POPと呼称させていただいても物足りない
巨匠・大瀧詠一が急逝されてしまった。
あまりに感慨深く、この方からいただいた影響の程は計り知れない。
全てがコロンブスの卵であり、すでに云うに及ばずで、
例えば今では当たり前の日本語ポップス&ロックは大瀧さんから始まったと
言って過言ではない、1970年頃当時のミュージックマガジンを
お探しいただければ、中村とうよう、内田裕也を向うに回しての
日本語ポップス&ロックの是非をめぐる熱き論争が繰り広げられていた。
大瀧さんはいたってクールにクリエイティブの本質を説いていた。
常に時代の先を意識して、若い芽を育て、一般人がその時理解できなくても
10年後目線での、ものづくりに取り組まれていたのである。
ものの見事に果実は実り大輪の花をあちこちに咲かせたのである。
その姿勢は音楽の求道者だった。
そして、その求道精神はその後クレイジーキャッツの復刻への注力、
さらには浪曲、落語、小津安二郎映画の解析等とまるで研究者の如く、
日本の懐古芸術に光を照らすことにも傾注していた。
そして今、巨匠の死を感じるにつけ、
自分自身、思いを新たにこれからを生きる決意をした。
2001年に出たリマスター版の「LONG VACATION」をもう何回聴いている
ことだろう。
今年のテーマは「行動」である。

日本音楽界の金字塔であり、
新譜を出さずとも毎年その動向には注視して止まなかった存在、
マイケル・ジャクソンがKING OF POPと呼ばれるならば、
さしづめGOD OF JAPANESE POPと呼称させていただいても物足りない
巨匠・大瀧詠一が急逝されてしまった。
あまりに感慨深く、この方からいただいた影響の程は計り知れない。
全てがコロンブスの卵であり、すでに云うに及ばずで、
例えば今では当たり前の日本語ポップス&ロックは大瀧さんから始まったと
言って過言ではない、1970年頃当時のミュージックマガジンを
お探しいただければ、中村とうよう、内田裕也を向うに回しての
日本語ポップス&ロックの是非をめぐる熱き論争が繰り広げられていた。
大瀧さんはいたってクールにクリエイティブの本質を説いていた。
常に時代の先を意識して、若い芽を育て、一般人がその時理解できなくても
10年後目線での、ものづくりに取り組まれていたのである。
ものの見事に果実は実り大輪の花をあちこちに咲かせたのである。
その姿勢は音楽の求道者だった。
そして、その求道精神はその後クレイジーキャッツの復刻への注力、
さらには浪曲、落語、小津安二郎映画の解析等とまるで研究者の如く、
日本の懐古芸術に光を照らすことにも傾注していた。
そして今、巨匠の死を感じるにつけ、
自分自身、思いを新たにこれからを生きる決意をした。
2001年に出たリマスター版の「LONG VACATION」をもう何回聴いている
ことだろう。
今年のテーマは「行動」である。

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