心揺さぶられるもの
10 16, 2013Posted in未分類
あの時、分らなかったものが、この歳になってみて分るということがある。
例えば音楽。
中学、高校時分、FMラジオからのDJ佐野元春による「元春レディオショー」を
聴くにつけ、ボブ・ディランとザ・バンドの固有名詞が良く流れていた記憶がある。
そして、かの元春が素晴らしく影響を受けたという興味から、
ディランとバンドを聴いてみた。
そして、当時の私のハートには響いて来なかったのである。
ところが、それから20年後まではかからなかったとは思うが、
再び彼らの音楽を聴いたところ、今度は琴線に触れまくりなのである。
これは時間経過による音楽素養の深まりも当然あるかもしれないが、
スタイルでなくハートトゥハートの響きを捉えることができた所為だと感じるのだ。
深いスタイリッシュさ加減への理解とでも言うべき、出会えて嬉しい音楽体験であったと
言い換えることができる。
心揺さぶられるものとは、その時々によって変わるものではあるが、
人間としての寛容さが微妙に影響しているのではと、思うところもあり、
背伸びが丁度合う年齢に達してしまったと、客観的には面白くあり、また面白くもなしと、
カーステレオからはザ・バンドの「ジェリコ」が流れているのである。

例えば音楽。
中学、高校時分、FMラジオからのDJ佐野元春による「元春レディオショー」を
聴くにつけ、ボブ・ディランとザ・バンドの固有名詞が良く流れていた記憶がある。
そして、かの元春が素晴らしく影響を受けたという興味から、
ディランとバンドを聴いてみた。
そして、当時の私のハートには響いて来なかったのである。
ところが、それから20年後まではかからなかったとは思うが、
再び彼らの音楽を聴いたところ、今度は琴線に触れまくりなのである。
これは時間経過による音楽素養の深まりも当然あるかもしれないが、
スタイルでなくハートトゥハートの響きを捉えることができた所為だと感じるのだ。
深いスタイリッシュさ加減への理解とでも言うべき、出会えて嬉しい音楽体験であったと
言い換えることができる。
心揺さぶられるものとは、その時々によって変わるものではあるが、
人間としての寛容さが微妙に影響しているのではと、思うところもあり、
背伸びが丁度合う年齢に達してしまったと、客観的には面白くあり、また面白くもなしと、
カーステレオからはザ・バンドの「ジェリコ」が流れているのである。

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