映像美とドラマツルギー
09 29, 2013Posted in未分類
人によって映画に求めるもの、
その感受性の個人的相違はあって当然であるものの、
只今主流である原作モノの映画化について考える点として、
①原作的世界観の昇華に寄与したもの
②別解釈による映像見解(※良し悪し含める)
凡そ、この二つで企画段階で問題がなければ進められることになる。
そして結果として映画化は原作を越えたか、越えられなかったかという
一点に話題は集中する。
最近、著名な原作モノを映画化した作品を公開終了が近い所為もあり、
鑑賞した。
まず私の個人的総合判断として、原作を越えていないというべきか、
原作を読んで完結していいのではという、映画化にするのであれば、
徹底的にするべきで、結果、中途半端な地域色に彩られたアートムービー
に仕上がってしまったというのが感想である。
確かにこの監督のライブラリーはそれなりに観ている経験上、
いつものこの監督のらしさで完成していて、画の質感は流石だと唸られ
させられるカットも多いのだが、それを差し引いても、
肝心の脚本との相性、当作品の脚本家は私も大きく影響を受けた方で、
客観的にあまりイイとは思えなかったのである。
これは脚本の良さを感じなかったからである。
実は私は映画を観る前に脚本を読ませてもらう機会に恵まれ、
拝読した感として、原作をあまり弄らず構成力で世界観を見せていく手法
で幾分、脚本家の思想をブレンドして、ある種のあるジャンルの
久しぶりに見る骨を感じるものとして、後は映像でどこまで迫っていくことが
できるかという感想を持っていた。
ずばり、監督について言えば選択ミスと言わざるをえない。
そもそもこの作品のテーマ自体万人が受け入れられるものでない以上、
映像が万人に歩み寄れば、自ずとテーマ性が薄くなってしまうのは
必定だと思うのである。
もっと適格者がおり、私はここで何名か挙げることもできる。
そして冒頭に挙げた②の別解釈、これは脚本家の思想の部分が、
後半について危惧はしていたが、浮いてしまったために、
逆に印象付ける結果となり、原作者のイメージと作品世界観のイメージを
ネガティブな方向へ誘導してしまっている点は否めず、
原作そのものへの疑問へと鑑賞者はプリンティングされてしまった可能性はある。
もともとアウトローな話であるだけに、
ここで大切なのは感情の紡ぎという点の配慮、ドラマツルギーを
どう考えていくかが私は殊更に重要だったのではないかと感じた。
過去の洋画邦画問わず、このテーマを扱いながらも秀逸だった作品の共通点は
映像美も勿論備わっていたが、ドラマツルギーを丁寧に描いていたという事である。
感情の紡ぎを私はその作品からは残念ながら感じる事ができなかった。
意図的に排除し、映像美で完結させようとさえ今にして思えば、
そう感じなくもない作品ではあったが、いろいろ論じる余地があるということは
自分にとってはプラスとも言い換えられるのかなとふと感じていたりする。

その感受性の個人的相違はあって当然であるものの、
只今主流である原作モノの映画化について考える点として、
①原作的世界観の昇華に寄与したもの
②別解釈による映像見解(※良し悪し含める)
凡そ、この二つで企画段階で問題がなければ進められることになる。
そして結果として映画化は原作を越えたか、越えられなかったかという
一点に話題は集中する。
最近、著名な原作モノを映画化した作品を公開終了が近い所為もあり、
鑑賞した。
まず私の個人的総合判断として、原作を越えていないというべきか、
原作を読んで完結していいのではという、映画化にするのであれば、
徹底的にするべきで、結果、中途半端な地域色に彩られたアートムービー
に仕上がってしまったというのが感想である。
確かにこの監督のライブラリーはそれなりに観ている経験上、
いつものこの監督のらしさで完成していて、画の質感は流石だと唸られ
させられるカットも多いのだが、それを差し引いても、
肝心の脚本との相性、当作品の脚本家は私も大きく影響を受けた方で、
客観的にあまりイイとは思えなかったのである。
これは脚本の良さを感じなかったからである。
実は私は映画を観る前に脚本を読ませてもらう機会に恵まれ、
拝読した感として、原作をあまり弄らず構成力で世界観を見せていく手法
で幾分、脚本家の思想をブレンドして、ある種のあるジャンルの
久しぶりに見る骨を感じるものとして、後は映像でどこまで迫っていくことが
できるかという感想を持っていた。
ずばり、監督について言えば選択ミスと言わざるをえない。
そもそもこの作品のテーマ自体万人が受け入れられるものでない以上、
映像が万人に歩み寄れば、自ずとテーマ性が薄くなってしまうのは
必定だと思うのである。
もっと適格者がおり、私はここで何名か挙げることもできる。
そして冒頭に挙げた②の別解釈、これは脚本家の思想の部分が、
後半について危惧はしていたが、浮いてしまったために、
逆に印象付ける結果となり、原作者のイメージと作品世界観のイメージを
ネガティブな方向へ誘導してしまっている点は否めず、
原作そのものへの疑問へと鑑賞者はプリンティングされてしまった可能性はある。
もともとアウトローな話であるだけに、
ここで大切なのは感情の紡ぎという点の配慮、ドラマツルギーを
どう考えていくかが私は殊更に重要だったのではないかと感じた。
過去の洋画邦画問わず、このテーマを扱いながらも秀逸だった作品の共通点は
映像美も勿論備わっていたが、ドラマツルギーを丁寧に描いていたという事である。
感情の紡ぎを私はその作品からは残念ながら感じる事ができなかった。
意図的に排除し、映像美で完結させようとさえ今にして思えば、
そう感じなくもない作品ではあったが、いろいろ論じる余地があるということは
自分にとってはプラスとも言い換えられるのかなとふと感じていたりする。

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